腸が煮えくり返っていた。
本島に対してか、馬鹿な自分に対してか。判然としなかったが……とにかく、今は本島の顔を見ていたくなくて、立ち上がり背を向けた。
「二つ警告しておく」
ドアノブに手をかけようとした時、背中に声がかかった。
「くれぐれも、診療所の盗聴器を外さないように。診療所を盗聴している男は、君を青二才だと舐めて無警戒でいるから、そのままの認識でいさせた方がいい」
「……」
「二つ目、生死に関わる重要なことだ。明日の朝、盗聴器を仕掛けた男が、診療所に来る。その時、何があっても絶対に相手に姿を見せるな。見つかったら最後、殺されると思え」
本島にしては、強い語勢だったと思う。だが、諏動は何も答えず部屋を出た。
部屋を出ると、カウンターで飲んでいた山石が頭から水を滴らせて出てきた諏動を見、慌てて駆け寄ってきた。
「おい、どうしたんだ」
「……喧嘩、しちまった」
諏動を本島が贔屓にしている男娼と思い込んでいる山石には、本当のことが言える訳もなく、諏動は精一杯に笑って見せた。
「もしかして、俺の忠告を聞いたせいか? それだったら」
取り出したハンカチで諏動の濡れた頬を拭いてくれる山石に、諏動は首を振った。
「違うよ。俺が悪いんだ。気にしないでくれ」
「……今日のこと、気にしないでくれな? 最近、組の方が色々とごたごたしてるせいで、気が立ってるんだ」
「……っ」
「ん? どうした?」
「いや。あんた、いい部下だと思って。あの人幸せもんだ」
「……はっ。俺もお得意さんにする気か?」
「あんたとは、商売抜きの友達がいいよ」
軽く冗談を言い合って、諏動は店を後にした。
帰り道、諏動は手の中の数枚の紙幣に目をやった。
山石が帰り際、タクシー代だと諏動に握らせたものだ。本島のそばを離れることはできないから送ってはやれないがと謝って。
じくりと胸の奥が痛む。
山石にこんなに良くしてもらう資格は、本島組の事務所を襲った自分にはない。それだと言うのに――。
「棚上げにも程があるよな、俺」
本島が最初から自分を利用する気でいたとはいえ、自分だって、二年間恩を受けた身でありながら、時任のためだと平気で本島や山石たちを裏切った。
だから、今回のことで本島を悪く想うなどお門違いだ。
自分にも、本島にも、相手への悪意はない。
あるのはただただ、自分の一番大事なモノを守りたいという気持ちだけだ。
利害関係が違うからと相手を悪者にするな。
感情的になるな。冷静になれ。
本島の言うとおり、今の状況を把握するんだ。
これまでのこと、そして先程の本島の言葉を思い返す。
本島は、「今回のことを起こした時」ではなく、「今回のようなことが起こった時」という言い回しをしていた。
これはつまり、今回のことを仕組んだのは本島ではなく、別の誰かと言うことになる。そして、盗聴の時の口ぶりから考えて、診療所に盗聴器を仕掛けたのも、その誰からしい。
では、診療所に盗聴器を仕掛けたのは、今回のためということか?
だが、どうやって時任を診療所に誘導する? 時任が怪我をしたのは偶々……。
「……まさか」
突如投げつけられた手榴弾。あれもその人物によるモノなのか?
よく思い出してみれば、手榴弾は窓ガラスの破片とともに降ってきた。と言うことは、外から投げ込まれたことになる。
それに考えて見れば、いくら時任を殺すためとは言え、その場にいた組員が室内で手榴弾を爆発させるわけがない。自殺行為だし、まだ生きていた組員を悉く殺すことになるのだから。
では、つまりこういうことか?
その某なにがしは溝口組を襲うよう依頼し、時任に溝口組を襲わせた。
時任が仕事をしているところに手榴弾を投げ込み、怪我を負わせ、診療所に導き入れることで、これから起こす「何か」のために時任を監視している、と?
そこまで考えて、諏動は思わず首を振った。
馬鹿な。こんなもの、到底計画と呼べる代物ではない。
時任に溝口組を襲わせるまではいい。だが、怪我をさせるためとはいえ、手榴弾はやり過ぎだ。
下手をすれば二人とも死んでいる。現に如月は時任が死ななかったのが奇跡だと言っていた。
それに、仮に死ななかったとしても、足が折れたりして動けなくなってしまったら、どうする気だった? 誘導も何もあったものではないだろう。
ハイリスクにも程がある。
やはり、誰かが仕組んだこととは思えない。今の状況は全て偶然の産物だ。
と、思うのだが、妙に合点がいかない。
本島があそこでこんなミスリードを誘うような嘘を吐くだろうか。
本島は諏動をこれから何かに使うと言っていた。それなら、下手な嘘を吐いて、不信感を募らせるようなことはしないのではないか。
……やはり、今結論は出すまい。
せめて、本島が言っていた、明日診療所にやって来るであろう黒幕を見るまでは。それから結論を出しても決して遅くはないだろう。
だが、しかし――…。
「これから……どうすりゃいい」
諏動を利用しようとしているとはいえ、本島は組のためなら平気で諏動はおろか時任たちも切り捨て、殺すに違いない。そんな男にここまで完璧に生殺与奪を握られた状態で、一体どうすれば――。
騒がしい雑踏を一人行きながら、諏動は深々と溜息を吐いた。
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